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2009年7月

2009年7月26日 (日)

ZUIKOレンズで根岸森林公園

ここのところ週末をダラダラ過ごしていたので、天気予報に反し晴れ渡ったこともありOMズイコーレンズを持って根岸森林公園へ撮影行。持参したレンズはZUIKO18mmF3.5、24mmF2.8、75-150mmF4-5.6(不使用)そしてEF50mmF1.8の4本である。通常はタムロンA16、Distagon25/2.8、EF70-200F4LISの3本体制だが、1本増えてもこの布陣よりかなり軽いのはさすがだ。
(画像クリックで拡大。オリジナル画像はこちら

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ZUIKO18mmF3.5 f8 1/320秒 ISO100 WB太陽光 PSスタンダード DPPにてコントラスト+1

ZUIKOの2本は今ひとつヌケが良くない。DPPで現像する際にどうしてもコントラストを1~2程度上げたくなる。またAPS-Cでの使用なので真ん中部分しか使っていないはずだが、端っこの方の解像感はこれまた今ひとつである。

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ZUIKO18mmF3.5 f8 1/125秒 ISO100 WB太陽光 PSスタンダード DPPにてコントラスト+2

根岸公園といえば旧根岸競馬場一等観覧席の遺跡であるが、フェンスに囲われていて立ち入ることはできない。数年前に来たときはそうなっていなかったと思うのだが、写真に写っていない一番右側の塔は蔦に覆われている。昭和5年築とのことなので東京駅の丸ノ内駅舎よりも新しいはずだが、何ともおどろおどろしい状態になってしまっている。やはり大正以前の煉瓦造りというものはたいしたものらしい。

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ZUIKO24mmF2.8 f8 1/15秒 ISO100 WB太陽光 PSモノクロ DPPにてトーンカーブ加工

木漏れ日が面白いことになっていたので、モノクロに加工してみた。でももっと精進しなければいけないと痛感。別の機会にまた挑戦してみよう。

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2009年7月25日 (土)

雨の日の珍客

ちょっと前の雨の日、地下にある書斎のドライエリアに珍客が舞い込んできた。四方を2メートル以上ある絶壁に囲まれたところなのだが、どうやって入ってきたものか。

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EF70-200F4LIS 155mm f5.6 1/13秒 ISO1600 WBオート PSスタンダード トリミング

道産子の管理人が本州に住むようになるまで見たことのなかったもの。それはゴキブリ、蛇、トカゲ、そしてカエルだ。建物の気密化や空調の整備などで最近はゴキブリも出没するらしい。アオダイショウが札幌近辺には生息しているはずなので、管理人はヘビに出会わなかっただけだろう。カエルがいるのかいないのかはよく知らないが、環境もそれほど悪くなかった昭和40年代初頭から実家の近隣では見たことがない。

このカエルはその後土のあるところに放してやったが、ちゃんと生きられるところに落ち着いただろうか・・・。

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2009年7月20日 (月)

Fedora11をインストールしてみた

週末はPC/AT機にMacOSが走る夢を見るはずだったが、世の中ままならなかったので、現実に立ち返って、6月9日にリリースされたFedora11を入れてみた。ずっとDebian系Linuxに慣れ親しんだ身にRedHat系Linuxディストリビューションはどう感じるのか試してみたかったというところである。

Screenshot2
ほぼインストール直後の状態。デスクトップ環境はGNOMEなので、壁紙が変わった以外はubuntuとほとんど変わりがない

管理人のメインマシン(プロフィールページ参照)、かつHDD全域を使う形にしたこともあってか、インストールに要した時間はわずか25分程度。インストール時にネットワーク認識でエラーが出たことを除けば特に何の問題もなくインストールを完了した。あとなぜかタイムゾーンを「東京」に設定したにもかかわらず、右上に表示されている時計がおかしな表示になっていた。まあこのへんはご愛嬌だろう。

GNOMEパネルの左端にFedoraマークがなければ「これはubuntuです」と言い張っても特に問題ないほど似通っているが、ubuntuにはないデスクトップ上にある「コンピュータ」「kogoshoのホーム」「ゴミ箱」のアイコンは消せない。正直、あまり必要だと思わないのだが。

オフィスソフトはOpenOffice.org3.1と最新版が付いている。ubuntu9.04に3.1を上書きインストールした時はうまく動かず3.0に戻していたのだが、こちらはデフォルトなのですんなり動く。

Screenshot1

言語入力システムがSCIMからiBusに変わっているが、日本語IMEそのものはAnthyで変わりがないので、cannaが採用されているPuppyより違和感はない。普通に使えて拍子抜けするくらいだ。ただ、F8連打で英数字の大文字-小文字変換ができないのでいちいちIMEのオンオフを繰り返す必要があり、英文字の入力が多い場面ではちょっと面倒だ。

ubuntuにはないデフォルトのサービスに「palimpsest Disk Utility」がある。HDDのSMARTから情報を得てHDDの健康度をチェックするソフトが常駐している。管理人のHDDもすぐに引っかかった。

Screenshotpalimpsest_disk_utility

どういう基準でエラー表示されるのかまだ分からないが、とりあえず温度が摂氏51度もあるのでアラートが出たらしい。確かにちょっと高すぎるので、対策を考えることにしたい。

冒頭でも触れたが、統合デスクトップ環境がGNOMEである限りほとんど「Fedoraである」ことを意識することなく使えている。もちろん、Debパッケージは使えないのでGoogle ChromeやGmount-isoなどは使えない(わけではないが、パッケージの再構築が必要)。ubuntuを使っていてrpmパッケージしかないような場面に出くわしたら、積極的に使ってみたい。何、端末でmakeしろ? 管理人はそんな面倒な事はしません(笑)。当面は。

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2009年7月14日 (火)

大当たり 77777

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いや、カウンターの目が7で揃っただけです。残念ながら管理人はパチスロもパチンコもやりません。ラスベガスにもマカオにも行ったことがありません。失礼しました(笑)

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2009年7月13日 (月)

拍手を送りたい 長野県の「お酌禁止令」

管理人は酒飲みである。それほど強いというわけではないが、人並みに嗜む方である。同時に、何につけ他人から強制されるのが嫌いだ。酒に関しても「飲め」と言われるのも、逆に「飲むな」と言われるのも、同じ程度に嫌いである。
酒の飲み方を覚えた管理人の学生時代は、当時おそらく全国的に見て貧乏水準の高い大学だったこともあって「酒の一滴は血の一滴」を地でいく生活だった。飲めない後輩に無理矢理酒を飲ませることもなければ、理由なく先輩が後輩に奢ったりもしない。激論の間に不注意でテーブルにこぼした酒はなめさせられた。だから酒を粗末にする行為も同じように嫌いで、いわゆる「一気飲み」「(罰ゲームなどのように)酒に不純物を混ぜるような行為」は今でも怒り心頭である。

そもそも酒を飲む行為というのは嗜好であり、趣味のものだ。好きな人もいれば嫌いもしくは苦手な人もいる。さらに一歩間違えば命にも関わることがある。当たり前のことだ。しかしこの「当たり前」のことを理解できない人もいる、ということが問題をややこしくしている。

長野県の副知事が、「庁内の飲み会でお酌をすることを禁じる」ことを提唱したという。
(朝日新聞2009年6月6日の記事) 

問題の本質はお酌そのものの是非ではない。「お酌をすることを要求する」または「お酌された酒は飲まなければいけない」という習慣なり雰囲気が問題なのだ。しかし、禁止することがそういった「強制行為」でないことにルール屋としては拍手を送りたい。

「強制行為を禁じる」だけなら、お酌推進派はきっとこういうだろう。「自分はお酌を強制していないし、つがれた酒だって自分の意志で飲まなければ良いだけだ」と。
しかし酔っぱらった人間というのはわがままだ。理性が通常より働かないだけにやっかいである。つまり、「相手にお酌されたらお酌を返すのが常識であり習慣だ」「好意でお酌されたのならその好意を汲んで飲み干すべきだ」という訳のわからない論理を展開する。総じて彼らにとっては「自発的に」お酌をしたり、お酌された酒を「自発的に」飲むことを要求する。そしてそれによって生じた事態に責任をとることはない。こういう状況を打破するもっとも効果的な策が、「お酌そのものを禁止する」ということだったのである。

冒頭に述べたように管理人も酒を飲む。お互いが対等の立場で、相手の状況もよくわかっていて、気軽に断れるようなシチュエーションであれば、お酌自体が悪いことだとは言わない。先の長野県の副知事にしても、職場での飲み会といえど全く対等なノンベのオッサン同士が注ぎあうことまで禁止しているものではなかろう。しかし組織で飲むということは立場を常に意識せざるを得ない。上司と部下、先輩と後輩が向かい合えば、どうしても上下関係が存在する。そこにはお酌の強制や飲みたくないものまで飲ませることが絶対ないとは言えないだろう。だから「お酌は禁止」という原則を徹底することに意義がある。

これに対して真っ向から反論する向きもある。
岩見隆夫のコラム「サンデー時評:長野の「お酌禁止令」、おかしい」

繰り返すが、お酌したりお酌されたりするのが好きなもの同士がそれをするのなら誰も止めない。でもそれをいやがる人にまで強制してはいけない。仕事の手順やルールなら強制もありだろう。しかし、組織の中で飲んでもまた仕事の話をしたにしろ、酒宴は私的な空間である。そこに強制はない。それがないことによってコミュニケーション手段が薄まるというのなら、ほか手段を考えるべきであろう。実際、お酌などという習慣のない国ではそうやっているのだから。

このコラムではこうも言う。
「だが、気楽に、というのはそんなに好ましいことだろうか。せっかくの酒席だ。注ぎ合いながら、たまには激論があってもいい。」
・なぜ「気楽でない」状態だと激論に発展するのかが不明である。むしろ気楽だから激論が期待できるのはないか。

「私たちの世代に比べて、一般的に若い人たちは感情の交流、気配り、心配りが薄くなっている、と感じる。」
・それが事実かどうかはここでは論じない。しかしその原因を「お酌をしたりされたりすることをいやがる」ことに求めるのは無理がある。

「日本人が長年、慣習として繰り返してきたことを、若者への甘い態度だけで軽々に禁止しないほうがいい。私なんか、夜ごと、だれかにお酌している。お酌してもらってもいる。生活の一部なのだ。何ごとによらず、禁止はよくない。」
・お酌禁止令はなにも若者だけが恩恵を蒙っているのではない。酒席が苦痛な人は世代を問わず存在する。飲めなくても気持ちの良いコミュニケーションの場を増やすということの方がより重要だとは考えないのだろうか。

このように自らの体験・経験・感覚がいろいろ存在するという事実を見通した上での「全面的禁止」であることがポイントだ。やりたい人はやりたい人同士だけで、今まで通りやればいいのだ。ただただ「やりたい人ではないかもしれない」のがわからない場・相手では禁止だというだけ。管理人としてはこの英断を支持したい。

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2009年7月11日 (土)

今度はUbuntu9.04上で本家Linux版Google Chrome

「CrossOver Chronium」インストールに関する過去記事はこちら

いささか気がつくのが遅れたが、Linux版の本家Google Chromeが6月上旬、ひそやかに公開されていたのでインストールしてみた。ダウンロードページはここ、ページの下の方にある「Dev channel (for 32-bit systems): google-chrome-unstable_current_i386.deb」というファイルがそれだ(64bit版も別にある)。拡張子で分かるように、DebianベースのLinux用パッケージでありUbuntuにも当然インストール可能だが、Fedoraなど用のrpmパッケージはまだないようだ。ただ、開発中バージョンという位置づけなので、安定版ではないことを良く理解した上で導入するかどうかを決めるべきであろう。
FireFoxでリンクをクリックするとGDebi Packageインストーラで処理するかどうか聞いてくるので、debパッケージを残しておきたいと思わなければそのままOKする。

Screenshotdeb

インストールはほぼあっという間に終わる。GNOMEパネルのアプリケーションの「インターネット」カテゴリに「Google Chrome」ができているので、それをクリックして起動する。Chroniumと違い、爆速で起動する。Windows版に遜色ない動きだ。スパナマークをクリックすると「import bookmarks & settings」というメニューがあるので、FireFoxからブックマークなどをインポートする。

Screenshot17

英語版なのでメニューなどは全部英語だが、ブラウズの日本語表示は問題なくできる。タイトルバーはさすがにGNOMEで設定したものに統一されておりややデザイン的にしっくりこないが、これは仕方があるまい。

プラグインはFlashもJAVAも非対応なので、Youtubeもニコニコも視聴不可、また速度計測などもできない。docファイルやpdfなどもウィンドウ内での表示はできず、一旦ダウンロードしてから対応アプリで開くという形になる。また、相変わらずGoogleツールバーはインストールできない。これは何とかしてほしいが・・・。

新しいタブを開くと出てくる「最近アクセスしたページ」はこの版でも健在だ。表示は若干違うが、基本的にWindows版Chrome2.0でできる作業は可能である。

Screenshotnew_tab_google_chrome1

上段左から3番目のサムネイルはマウスオーバーしたところ。この右上の「×」をクリックすると削除できる。

Windows版2.0ともっとも挙動が違うと感じるのはブックマークの表示のさせ方だ。

Screenshot18

ブックマークバーにあるボタン(正確にはフォルダ)をクリックすると、右上のこれだけしか表示されす、上と下にある矢印ボタンで上下スクロールさせないとならない。これは不便だ。もっとも、この中にあるフォルダをクリックすると、従来同様に展開表示される。

Screenshot20_google_chrome

ルートフォルダの中身だけがなぜこんなに狭く表示されるのか不明だが、これも何とかしてほしいところだ。

バージョンを確認すると、「3.0.192.0」となっている。Windows版のブックマークの表示も3.0でこういう風に変わるのだとすると、ちょっと考えてしまう。

Screenshot19

機能的に制限があり、インターフェースもWindows版に比べて劣っているなどといささか分が悪いが、この速さはやはり魅力だ。Flash非対応もいらない広告バナーが表示されないと考えれば特に問題なく、ニュースサイトなどを見るのには適したブラウザだと思う。しばらくFireFoxと併用していきたい。

 

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2009年7月 5日 (日)

本当はそれでも生きてほしかった。「そして明日の世界より――」

「そして明日の世界より――」(etude・2007)コンプリート。島が舞台、世界の終末、隣に住む幼馴染み、美貌の転校生という、ある意味王道な要素をこれでもかと詰め込んだストーリーになっている。(以下、いくつかネタバレを含みますので、お嫌いな方は別ページへ飛んでください)

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朝陽(左端)の髪の三つ編みはどう考えても不要だ。なんとかならなかったのだろうか・・・

あらかじめ健速乙(笑)
巷で「名作」の評判通り、いろいろ考えさせられることの多かったシナリオだが、管理人的には特に「親としての視点」で気になることが多かった。あと3ヶ月で死が避けられない状況になった時のこと、0.03%の確率で助かるかもしれない人間が選出されるとわかった時のこと、自分の子供がそれに選ばれた時のこと、最愛の娘がその選んだ男と関係を持ったと聞かされた時のこと・・・。ノーマルEDと夕陽ED以外では両親の心情はほとんど語られないが、「シェルターに入るかどうかはおまえが決めなさい」と言えるかどうか、「お祝いだ!」と言えるかどうか残念ながらあまり自信はない。

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親父の背中は大きい。管理人はもうすぐ長男に身長を追い越される予定

シェルターというものは戦中の防空壕やイラクのアメリア・シェルターの例にもあるとおり、その中で危機的な状況になると外の世界より悲惨だ。実際、アフターシナリオでも半分のシェルターは防水上の問題、酸素供給の問題、食物の問題などにより壊滅したことになっており、その凄惨な状況は想像に難くない。まあ、自分が当たったら絶対に行かないだろうが、自分の子供が当たった場合にそういう選択をさせられるかどうかは別な問題だ。

「特にアフターがいい」という意見が多かったので期待しすぎたのかもしれないが、管理人的にはアフターシナリオは合わなかったと言っていい。主人公をはじめとする登場人物は「ただただ大事な人、場所、時間を守りたかった」のであって、それを別に後世に残したかったわけではあるまい。なぜあのような大がかりな仕掛けをもって(35年以上もどうやって電源を確保したのかなど)いわばタイムカプセルを仕込んだのか、そのあたりに意志の連続性がないような気がする。ちょっと違和感のあるラストに感じたのが残念だ。

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青葉だけCGも回想もほかの3人より少ないのはいささか不公平感あり。なんでかなぁ

ヒロインの一人、青葉役である青山ゆかりの演技は迫真だ。声質はどちらかというとそれほど好きなタイプではないのだが、特に個別ルートに入ってだんだん壊れていく青葉の心理描写は「うまい」の一言に尽きる。ラムネのひかり役、うな天のエリン役のときはさほど印象がなかったが、本作とAsterの沙希役は凄みが出て良いアクトだと思う。

音楽もOP「For our days」をはじめとして良い曲が多い。BGMの多くがなんとなく野見祐二の書いたジブリの「耳をすませば」に雰囲気が似ていると思うのは管理人だけだろうか。
CGはまずまず。最大の難点は名作であるが故に手に入りにくくなっていることくらいか。このブランドの次回作にも期待したい。

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